春場所の番付が発表された。
正直、2月に協会内で多くの感染者を出した時、3月は初場所以上の入場制限を設けた上で、両国で開催するのが望ましいと思っていた。
大阪のファンにとっては待望久しいことではあろうが、いまだ協会内に新型コロナウイルス感染が確認される状況で、大阪に大挙移動し、入場制限も先場所と変わらないことへの不安は大きい。いまだに、本当にいいのか、との思いは拭えない。
* * *
さて春場所といえば、最近はあまり聞かなくなったフレーズのような気がするが「荒れる春場所」と呼ばれ、なぜか上位陣が崩れることが多いと言われていた。
私が相撲を見るようになって初めて迎えた春場所は1981年春だが、この年は特にひどい荒れようだった。
◆初日:千代の富士 北の湖 揃って敗れる!
この場所の注目は、何といっても先場所、関脇で初優勝して大関に昇進した千代の富士。
当時、NHKの大相撲中継の初日は、専属解説者と、解説によく登場する親方たちの「優勝予想」が恒例だったが、北の湖を優勝候補一番手とし、二番手に若乃花を挙げる人が多かった。新大関・千代の富士は三番手とする予想が多く、中には候補に名を挙げない人もいた。
中入り時間に、横審の総見だったのだろうか、場所前の稽古の映像が紹介された。
話題の新大関・千代の富士の映像が主だったが、その千代の富士と栃赤城との稽古で、千代の富士が負けるところが映し出された。
アナウンサー「この栃赤城が、今日の千代の富士の相手です」。意外にも、千代の富士は栃赤城との対戦成績3勝7敗と大きく負け越していた。
その取組、千代の富士が出るところ、栃赤城がすくい投げを連発、千代の富士は思わず手をつく。
結びの一番では北の湖が、これまでの対戦で8勝0敗の巨砲に寄り切られた。
先場所の優勝決定戦に出場した二人が相次いで敗れる波乱の幕開け。
横綱輪島、若乃花、大関増位山は白星スタート。
小学生だった私は宿題の日記に「あの二人が初日に負けるなんて」と書いたところ、先生が「ぐしけんも負けたね」という返事をつけてくれた。そのとおり、この日は13回防衛のボクシング・ジュニアフライ級世界チャンピオンの具志堅用高がペドロ・フローレスに敗北し、王座を奪われている。波乱は相撲だけではなかった。
◆二日目:輪島に土
二日目、横綱輪島は琴風に寄り切られ完敗。
北の湖、千代の富士は連敗せず、若乃花、増位山も白星を重ねる。
なお、この日は北の湖が玉ノ富士を頭より高く抱え上げるような珍しい形でつり出すという相撲があった。
◆三日目:輪島 突然の引退/若乃花敗れる
三日目、昨日負けた輪島が突然の引退表明。師匠の花籠は年寄を勇退し、輪島が花籠部屋を継承することとなる。
発表は突然だったが、限界がきていることは衆目の一致するところではあった。
横綱若乃花は北天佑に、大関増位山も昨日輪島を破った琴風に敗退。三日目にして横綱、大関に無傷の力士はいなくなった。
◆四日目:増位山連敗
四日目。初日に千代の富士を破った栃赤城が増位山にも勝ち、大関を連続撃破。
◆五日目:増位山も引退/若乃花二敗
五日目。輪島に続き、大関増位山も引退、年寄小野川襲名を発表。
若乃花は天ノ山に負け、早くも2敗。
序盤を終えて、無傷なのは琴風、隆の里の両関脇のみ。
◆六日目:千代の富士 北天佑に破れ二敗/若乃花連敗
千代の富士が北天佑に苦汁を飲まされる。
土俵際、投げの打ち合い。初場所は似たような場面で千代の富士が驚異の粘りを見せ、上手投げで勝ったのだが、すでに初日に負け、先場所ほどはノッていない千代の富士が、今度は残せなかったという相撲。
北出清五郎氏は「(初日も含め)二番の負けがいずれも右手をついている点も指摘したい。“投げを打たれたら手をつくな、顔がつくまで辛抱しろ”という言葉がある」と観戦記に記し(『大相撲』1981年春場所総決算号81ページ)、三宅充氏も「執念不足」(64ページ)と苦言を呈した。
確かに、下半身の粘りと最後まで勝負を捨てないことが身上の「ウルフ」らしくない。
若乃花は魁輝にも負け、元気なく3敗。
勝った魁輝が「あれで決まるとは思わなかった」と語るようなもろい負け方。千代の富士も「横綱はどこか悪いんじゃないか」と気遣うほど。
花道を下がっていく若乃花の姿を実況アナウンサーは「寂しそうに見える」と語った。
琴風、隆の里は6連勝。
◆七日目:若乃花休場/北の湖二敗
若乃花が頚椎捻挫、頚髄損傷で、この日から休場。これが後々まで尾を引き、若乃花は、その後、優勝することがないまま土俵を去ることになる。
相次ぐ横綱、大関の引退、休場に、春日野理事長は緊急記者会見で異例の「おわび」。
この日も波乱は続く。北の湖が今度は、過去の対戦で10勝0敗だった栃赤城に寄り切られる。栃赤城は、二大関一横綱を破る活躍。
ここまで負けなしだった琴風も蔵間に敗れ一敗。
七日目終わって、勝ちっ放しは関脇隆の里ただ一人。
隆の里は、三日目の相撲での擦り傷が化膿して40度の高熱を発し(蜂窩織炎だったのだろうか?)五日目から休場するつもりだった。
ところが、その日の対戦相手の増位山が引退と知って急遽出場を決め不戦勝となるなど、好運にも恵まれた。
もし隆の里が休場していたら「両者不戦敗」の珍事になっていたという人もいたが、実際、そういう場合はどうするのだろう?双方に「や」が付くだけの事だともいうが。
◆八日目:隆の里が初黒星
勝ちっ放しの隆の里が北天佑に敗れ初黒星を喫した。
この日、横綱、大関陣は今場所初めて安泰・・・といっても、北の湖と千代の富士の二人だけだが。
◆九日目:千代の富士三敗
千代の富士が蔵間の投げに破れる。先場所の「主役」が九日目終わって6勝3敗。
隆の里も天ノ山にいいところなく敗れ、2敗目。
◆慎重になる北の湖 調子を上げる千代の富士
荒れ模様だったのはそこまでで、一人横綱となった北の湖は八日目以後、慎重な相撲で白星を重ねていく。隆の里が2敗で並走。
中盤までもたついていた千代の富士も、徐々に持ち前の相撲を取り戻し、3敗を保ってよくついて行く。そして十三日目、2敗の隆の里を、初場所並みの速攻相撲で寄り切り、引き摺り降ろす。
隆の里は翌日も北の湖に負け、優勝争いから脱落。
北-千代 再び楽日決戦
千秋楽は、2敗の北の湖と3敗の千代の富士が結びで対決。北の湖勝てば優勝、千代の富士勝てば決定戦。先場所、優勝を争った二人が、再び千秋楽結びで相見えることとなった。
その相撲は、北の湖が千代の富士を圧倒。
寄り切って先場所の雪辱を果たすと共に21回目の優勝。横綱、大関の引退、休場が相次ぐ中、不調ながらも一人横綱の責任感から懸命の土俵を務めたことを労う声が聞かれた。
千代の富士は、先場所のような快進撃ではなかったものの、新大関11勝は合格点。しかも北の湖と最後まで優勝を争った。天竜三郎、小坂秀二といった評論家の面々も横綱になれる可能性大と見た(『大相撲』1981年春場所総決算号64ページ参照)。
相次いだ横綱、大関の引退、休場は、場所の興味を削ぐものとして批判の声も上がった。理事長自ら、おわびの会見を開いたことは先述のとおり。
荒れに荒れた場所だったが、北の湖と千代の富士がしっかりと締めた。また、琴風、隆の里の両関脇も活躍し、大関先陣争いに期待を抱かせた。
ひとつの時代が終わり、次の時代に突入したことを強く印象づける場所でもあった。
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40年経った今年の春場所は、果たして波乱含みの「荒れ場所」となるか、上位陣が安定を見せつけるか、いずれにせよ感染症で荒れるということだけはないことを願う。
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