1981年九州場所、七日目の魁輝-青葉山戦で、ちょっと珍しい・・・と言うよりは、変な光景を見た。
魁輝が投げを打つと、青葉山の体が大きく泳いだのだが、その寸前、行司・木村庄二郎が「廻し待った」の声をかけていた。
それを受けて青葉山は力を抜いた。
だが魁輝は青葉山の体を押し始める。
魁輝は「廻し待った」に気付いていないようだった。
そこで青葉山は「まだ相撲は続いているのか」と、あわてて力を入れ直して抵抗したが、すでに土俵際。
魁輝が青葉山を寄り切ってしまった。
だが「廻し待った」がかかっていたので、この勝負はなし。
(魁輝の投げで青葉山の足がわずかに土俵から出ていたようにも見えたので、見ていた私は、魁輝が「お前負けたんだから引っ込めよ」とでもいう意思表示で押しているのかと思った)
再び廻しを締め直して、待ったがかかった時の体勢から取り直すことにした。
ところが、組ませようとさせても体勢が決まらない。
動きがあったためだろう。行司が元の体勢を覚えていないのだ。
行司が正面土俵側に足を運んで、土俵下の中立審判長(元横綱栃ノ海)と言葉を交わしていた。
どうやら元の体勢がどうだったか、審判長に尋ねているらしい。
しかも何度も両力士と審判長の間を往復している。
埒が開かないと、審判長自ら土俵に上がり、ビデオ室とも連絡を取りながら行司に指示して組み直させ始めた。
なぜか館内は拍手喝采。
魁輝「青葉関に、最初からやり直そうかって言ったら、ウンと言ったんだけどな」(読売『大相撲』1981年九州場所総決算号84ページ)
どうにか再び組み直して、勝負再開。
魁輝が青葉山を寄り切った。
青葉山「こっちも全然覚えていないし、向こう(魁輝)も納得いかなかったんじゃないかな」(上同)
読売『大相撲』記者・谷口正美は「行司は、もっとタイミングよく声を掛けてほしい」と記している。
青葉山も「『まわし待ったのタイミングが悪いよ』とボヤくことしきりだった」(読売『大相撲』1981年九州場所総決算号100ページ)
廻し待ったのタイミングが問題になることは、この時のみならず、しばしばある。
この前年、行司の土俵上での転倒が相次ぎ、「行司の質」を問う声も起こっていた。
* * *
最近も、行司と力士の接触がやたら多いような気がする。
ある時など、力士に触れてもいないのに土俵下まで吹っ飛んで行って自爆、なんてことまであった。
今の行司さんについて気になることも多くあるが、それについてはまた改めて。