横綱に昇進した照ノ富士の土俵入りの型は「不知火型」と決まった。白鵬と同じで「第十一代横綱」不知火光右衛門の型とされる。
引退した鶴竜、稀勢の里は「雲龍型」と呼ばれている。「第十代」雲龍の型とされる。
この「不知火型」「雲龍型」の名称に、実は問題がある――ということを、今回は、小島貞二著『歴代横綱おもしろ史話』(毎日新聞社)を主な種本にして考えていく。
(ついでながら、上の鶴竜のリンク記事内の「攻防兼備の型」とか「もともとは神に祈る神事として行われていた」という記述も問題なのだが、今はその事まで論じる用意はない。以下、ページ数は断りがない限り『歴代横綱おもしろ史話』のもの)
「雲龍型」と「不知火型」は実は逆?
「雲龍型というのは幕末の雲龍久吉(十代)がやった型、不知火型というのは不知火光右衛門(十一代)が演じた型だから、そう呼ぶべきだと主張したのは、あの彦山光三(相撲評論家/投稿者注)さん・・・ところが横綱審議委員で相撲博物館の館長でもあった酒井忠正さんが、明治の新聞などを引用して『それはアベコベである』と、物言いをつけた」(12、13ページ)
「これは明治の太刀山峰右衛門(二十二代)が、両腕をひろげてせり上がる土俵入りをやった折、ある新聞は『むかしの雲龍の型だ』と報じ、ある新聞は『不知火の型だ』と書いた」
「それが混乱のはじまりだが、こうなると実際に見た人の証言がほしい」(13ページ)
不知火の目撃者の証言
「幸い丸上老人(本名・板倉又四郎)という、幕末から明治にかけて、六十年間も相撲を見たという好角家の見聞録がのこっている。それによると不知火三右衛門の土俵入りを、こういう風にいっています」(13ページ)
【「雲龍」で始めて「不知火」でフィニッシュ?】
「『並み(普通)にやれば、右手を前方にのばし、左手を腹部に当てるとともに引立て、両手を左右に水平に伸ばすだけだが、不知火のは、その右手をのばすときに、ちょっと腰を落として、右手を滑らせるようにやる。こうすると・・・体を引立て、両手を水平に伸ばす勢いまでも、グッとよくなる」(13、14ページ)
つまり、通常の土表入りは、腹部に手を当てる、今で言う「雲龍型」の仕草でせり上がり始め、立ち上がった時に両手を広げて、つまり今の「不知火型」の型でせり上がりを終えたというのが、丸上老人なる人物の証言である。
ということは、不知火の独創的な部分は、せり上がり時の両腕の形にあるのではなく、伸ばす際の動かし方だったということになる。
75ページには、不知火と「第十三代」鬼面山が並んで土俵入りをしている写真(絵のように見えるが写真とのこと)が載っている。右が鬼面山、左が不知火。
「これは丸上老人を信じると、どの横綱も、左手を胸、右手を伸ばしてせり上がり、立ったとき両腕を双翼のようにひろげて納めたとある。つまり・・・不知火は “納める寸前” 鬼面山は “納め終えたところ” と解するか、また不知火はいわゆる “雲龍型” の土俵入りで、鬼面山がいわゆる “不知火型” の土俵入りだったかもしれない」(75ページ)
結論
「『二つの土俵入りは、アベコベである』は一つの爆弾になるが、私の提案は「現在 “雲龍型” と呼ばれている土俵入りは “梅ケ谷型” でよいのではないか。いま “不知火型” で通る型は “太刀山型” と呼ぶのがふさわしいのではないか」である。これも、先達の筆になるテーマなので、決して私のオリジナルではない」
これが小島貞二氏の結論、と言うより、相撲史の研究家による「通説」である。だが・・・。
公式が混乱
ところが、日本相撲協会の公式HPでは、手を腹部、または胸部に当てるに当てるのが「雲龍型」、両腕を広げるのが「不知火型」となっているから、事はややこしくなる。
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そして、協会の見解だからということで、ほとんどのメディアが、これを疑いもなく流布している。
名称だけではなく「不知火は攻撃の型、雲龍は攻防兼備の型」という根拠のない解釈までも。
横綱土俵入りだけではない。
初代横綱とされた明石はじめ最初の三人の力士が実際には「横綱」制度以前の力士だという問題、それに伴う横綱の代数の問題(この記事では代数は「 」付きにした)。
二人の横綱力士が行う「三段構え」も「古式ゆかしい」とのアナウンスとともに紹介されたりするが、実際には近代になって創作されたもの(『相撲――その歴史と技法』新田一郎著/日本武道館 199ページ参照/もちろん古式の儀礼を復活させるという触れ込みで始められのだが)だし、
さらには相撲協会定款にある「この法人は、太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし」という記述に至るまで「公式が俗説」になっている例は枚挙に暇がない。
「相撲古来の伝統」だと、何の疑いもなく思われているものが、実はその起源が明治期以前には遡らないことが意外に多いのだ。
(相撲誌で「記録というものは『どうなっているか』が重要なのであって『どうあるべきか』ではない」言っている人がいたが、それは暴論と言うしかない)
「相撲史の中をまかり通るこうした混乱は、そろそろ是正されるべきときではないだろうか」(244ページ)
小島氏がこう主張してから30年が経とうとするが、いまだに是正に向けた動きはない。