しこ名の怪

別に「」というほどの話でもないのだが・・・

小錦 

今のように外国人力士が多くはなかく、むしろ珍しい時代で、同じハワイ出身の高見山が同郷からスカウトして来たということもあり、入門時から話題になっていた。

新弟子としては規格外の体格も注目されていたが、高砂部屋ゆかりのしこ名「小錦」と命名されたと聞いたときは「あの巨漢に『』錦はないんじゃないか」と思った。しかし、後に史上最重量力士となると、しこ名とのギャップがかえって面白かった。

同時代の幕内には「大錦」がいたのも、また面白かった。牧伸二が「大錦より小錦でかい♫」などと歌っていたことがある。

小錦(『歴代大関大全』ベースボール・マガジン社/巻頭口絵写真)

北勝海 

関脇までは本名の「保志」で取っていたが、大関昇進を機にしこ名を付けることになる。

よく知られた話だが、本人は出身地の「十勝」をしこ名に取り入れたかったものの「10勝」では優勝できないと師匠が難を示して、北海道の「北」に十勝の「勝」を合わせて、しかも「勝」を「とかち」の「と」と読ませるウルトラCで「ほくとうみ」と名乗った。苦しい読みだが、当時は漫画の「北斗の拳」がブームだった頃で、かっこいいと思ったものだった。

北勝海(『歴代横綱71人』ベースボール・マガジン社/41ページより)

なお「勝」は「とう」で「海」は「み」と読み「北勝海」は「ほく-と-うみ」ではなく「ほく-とう-み」だとする説も現役の頃からあったが、これは後付けではないだろうか?

もし、そうだとしたら今の「北勝富士」は「ほうとうふじ」にならなければならない理屈になる。これを「と」と読ませているということは、やはり「ほく-と-うみ」のつもりだった可能性が高いと思う。北勝力は「とう」の読みだったが。

北勝海一代限りの読みなら、どうしても郷里の名を入れたかったという気持ちもわかるが、弟子にもとなると、あまり漢字の読みを新造しないでほしい気もする。

玉の海(梅吉) 

玉の海梅吉著『これが大相撲だ――生きて、見つめて』(潮文社)表紙写真

相撲解説者の玉の海梅吉は、現役名は「玉ノ海」だったが、解説者としては「玉海」を名乗っていた。

今は、解説者としての玉の海について書かれたものも「玉ノ海」と表記しているものが多いが、NHKテレビの字幕で「の」となっていたのをはっきり覚えているし、当時の出版物を見ても「玉の海」となっている。

なぜ「玉海」なのか――以前、ヤフー知恵袋に質問を投稿したところ、玉ノ海梅吉の弟子だった玉乃海代太郎太三郎)が、一時期「玉ノ海」と名乗っていたことがあり、玉の海の解説者就任がその時期に重なっていたので、現役力士と同じ名では具合が悪いということで「玉の海」になったのではないかとの回答をいただいた。確証には欠けるが、可能性のある話だと思ったのでベストアンサーに選んだ。

それにしても、横綱玉の海は、本人の希望で玉乃島から改名したと聞くが、なぜ師匠の「玉乃海」ではなく、解説者の「玉の海」と同じ字にしたのだろう?(ご存知の方がいらしたら、お教え下さい) 解説の玉の海さんも、孫弟子に当たる横綱玉の海に期待してかわいがっていたらしいが。

当時の相撲放送や相撲誌は、ややこしくなかっただろうか。

「玉の海さん、今場所の玉の海はどうですか」なんてこともあったわけだ。

(月刊『大相撲』読売新聞社/1982年夏場所総決算号72ページ「総評座談会」。「玉の海」となっている。なおこの座談会は、いつもは写真のメンバーに加えて天竜三郎氏が参加していたのだが、この号では、たまたま体調不良で欠席。錚々たる顔ぶれだった)

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