北出清五郎著『大相撲への招待』(廣済堂)は「廻しの色もカラー時代」と題する一文から始まる。
相撲協会の力士規定第四条には、
「十枚目(十両のこと)以上の関取資格者は、紺・紫系統の繻子の締込みを使用し、同色の絹の下りを使用すること」
とあるから、いま普通に見られる色とりどりの廻しは、言ってしまえばルール違反ということで、規定はザル状態ということになる。
「この点について協会は『カラーテレビの時代だから、ある程度派手になるのはまあ仕方がないでしょう』」(16ページ)
と言っていたのが1970年代。
今は親方衆も、それ以後に入門した人たちばかりだし、いまさら少しくらい派手だからといってどうこうと言うことはないが、当時は、
「でも、赤ふんだけは困る・・・」
「ということだったが、その赤もついに現れた」(16ページ)
この「赤ふん」の創始者が高見山大五郎。
「(昭和)五一年秋の初日の土俵に、高見山(赤)、荒勢(白に見えたが実際はウス鼠色)が登場したときは館内がどっと沸いた」(16,17ページ)
両者の対戦は「紅白歌合戦」と呼ばれたという。
しかし、荒勢の白っぽい廻しはこの場所限り。
高見山は数年後にオレンジに変えた(赤になる以前もオレンジを締めていたことがあった)。このオレンジも、その頃は珍しかった(後年、高見山の弟子の曙が締め、今は志摩の海や魁聖が締めている)。
今、赤は豊昇竜が締めている。もうそれほど珍しいことでもなくなった。
横綱輪島は金だったが、北出氏は「ベージュ系の金茶」(17ページ)と形容している。
確かに、後の朝青龍、白鵬、遠藤ほどキンキラキンではなく、落ち着いた色調だ。
朝乃若が黄色、それも鮮やかなレモンイエローを締めたことがある。同時期の幕内力士に「俺は、あれを締める勇気はない」と言っている人がいた。
今や、少々派手な廻しは見慣れたが、それでも宇良が上がってきたときには目を疑った。
(下二枚、いずれもNHKテレビより)
黒は、80年代前半くらいまでは見た記憶がない。
幕下以下の稽古廻しの色だから避けられていたのかも知れないし、黒は黒星に通じるというゲン担ぎもあったかも知れない。
その黒は、85年夏から千代の富士が、それまでの青系統に代えて締めた。
幕下以下の黒稽古廻しは貧相に見えるが、そこは場所の締込みなので光沢がある。
アナウンサーが「私の個人的な意見ですが、千代の富士の黒い廻し、締まって見えて、とてもいいと思います」
と言っていた。アナウンサーが私見を述べるのも珍しいなと思ったが、同感だった。
これはその後、朝青龍、今では照強などが締めている。
「スーパー戦隊シリーズ」では「大戦隊ゴーグルファイブ」のゴーグルブラックで、初めてメンバーのコスチュームに黒が採用された。
話を戻す。
なお、2013年秋場所の中入時間に流された、1950年代の相撲のカラー映像が紹介されたことがある。これを見ると昔の廻しの色がわかる。以下7枚の写真はNHKテレビより画面を撮影。
写真が不鮮明で申し訳ないが、やはり地味な色が多いように見える。もっとも、玉乃海は金色の廻しを締めたこともあった。
北出氏は、この文章を「私見だが、廻しの色は濃い目の色の方が力士の体が引き締まって力強くみえる。やはり、紺、紫系統が本命だと思う」(17ページ)と、締め括っている。
だが、じきに上述の荒勢のような薄い鼠色ではなく、正真正銘のホワイト廻しが現れるだろうか?