このブログの最初の方で書いた「千代の富士の先祖に『嶽の浦』というしこ名の横綱がいた」という説についての記事。小学生の頃に入手した『燃えよ!千代の富士』(講談社)という本で読んで、ずっと疑問に思っていた話。
詳しくはリンクをご覧いただきたいが、この記事では、結局、はっきりしたことは分からないという結論だった。
その後、いろいろわかったことがあったので、今回は、いわば続編。
↑『大関 御嶽海』(信濃毎日新聞社・編)昇進記念 報道写真集
◎話の出どころはスポーツ紙
月刊『相撲』1981年春場所展望号の「しつぎおうとう」欄に「1月末の日刊スポーツ紙に、千代の富士の先祖は横綱」と、大きく出ていましたが、ほんとうでしょうか」という読者からの質問が載った(216ページ)。
当時は、千代の富士が初優勝、大関昇進を決めた時で、メディアには色々と千代の富士関連のニュースが溢れていたものだ。
この質問に対する池田雅雄氏の回答「あの記事について読者から電話などで問い合わせがたくさんありました」
編集部も、なかなか大変だ。
↑『真っ向勝負~嘉風自伝』嘉風 雅継(年寄・中村)著/引退した今 本人が自らの言葉で振り返る
「江戸末期から明治にかけて、津軽藩抱えの嶽ノ浦という力士は江戸(東京)番付には見えません」
池田氏によると、どうも津軽の土地相撲に「嶽の浦」(池田氏は「嶽ノ浦」と表記)を名乗った者がいたようだ。確かに土地では強く「大関」になったというが、それは祭りの際などの相撲大会の優勝者がそう呼ばれたということに過ぎず、江戸勧進相撲での大関ではない。もちろん番付にも載らない。
これを、当時の「日刊スポーツ」の記者が「当時は大関が最高位であり、今なら横綱に相当する」という強引極まりない論法で「千代の富士の先祖は横綱」という記事にしてしまったらしい。
要は、デタラメ話だったということ。
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「昔の大関は最高位だから実質横綱」などというのが、もう無理なのだが、しかも、その「大関」も土地相撲の大関だったというのだから話にならない。
池田氏も「全く飛躍した笑い話で、ナンセンスなことです」と斬って捨てている。
もちろん日スポにも相撲記者はいるが、その記事を書いたのは相撲をよく知らない記者だったのだろう。
◎「毒殺説」は ありがちな英雄譚
また、前に記事でも紹介したとおり、この嶽の浦が強すぎて妬みを買い、毒殺されたという話も伝わるが、これについても『相撲』誌、1981年秋場所総決算号「しつぎおうとう」欄に「本当ですか」との質問がある。
池田氏の回答は、これもまた根拠のない話だというもの。
相撲史に残る有名な力士でも、たいがい毒殺されたという伝説が各地に伝えられています。これは相撲講談からきた作り話で、自分の村や町から出た力士を、よりよく伝えるために、講談仕立てに創作されています。郷土史で伝える力士物語の大半は、そのままに信用できない実例が多いといえます。史実として記録された文書には、そういった毒殺説は一件の例もありません。
(218ページ)
これも前記事で紹介したように、江戸時代の大関・白川にも毒殺説があり、強豪ぶりを伝える一つのパターンなのかも知れない。
目を海外に向けると、中国では拳法の達人・李書文が、やはり妬みによって毒殺されたという話が残っていて、これも史実性は疑問視されているが、この種の話は国内外問わず、英雄伝の一部として語られているようだ。
なお、池田氏は「嶽ノ浦は、土地相撲の大関であった伝承だけは事実と思われます」としている(81年春場所展望号216ページ)。
↑『御嶽海 前へ 初優勝 そして大関めざして』
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というわけで「先祖が横綱」説は否定されたものの、この『燃えよ!千代の富士』千代の富士関連の記事の他にも「相撲ものしり大百科」「名横綱ものがたり」等のページもあり、相撲を見始めたばかりのころの私にとって、とても興味深く読めたものだった。
↑この、四つ切り大の千代の富士の写真パネルは『燃えよ!千代の富士』の読者プレゼントでもらったもの。
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