ヒゲの式守伊之助武勇伝
まずは、北出清五郎著『話のふれ太鼓』(廣済堂/1981年刊)から「ヒゲの伊之助」と呼ばれた十九代・式守伊之助のエピソード。
名物行司と言われたヒゲの伊之助さん。この人がヒゲを伸ばしたのは、風邪を引いたのがもとだが、品がいいというので、特に相撲協会からお許しを得て、そのままで土俵に上がった。たしかに品のよい真っ白なヒゲで、お人形のよう。いっぺんに人気の的になった。
・・・・・・
また、なかなかのあわてん坊で、あるとき鏡里に勝ち名乗りを上げるところを、負けた玉乃海の名前をいった。
途中で、しまったと気がついた伊之助さん。
「玉乃海に勝ったる鏡里ォ」
とやったり、ときには勝った力士の名前を忘れて「お前さァん」とやったこともある。
(142ページ)
「お前さァん」という神経もすごいが、それはともかく、この「鏡里に勝ったる玉乃海」、今も語り草の、ヒゲの伊之助の有名なエピソードなのだが、玉乃海自身が語ったところによると、事実はちょっと違っていたかも知れないという話。
「鏡里に勝ったる〇〇」
(以下、少年の頃の私の記憶に拠って叙述するので、細かい言葉使いなどは違うと思いますが、内容はこの通りでした)
玉乃海が語ったというのは、まったく偶然の機会。
80年代のある本場所(詳しくいつの場所だったかは思い出せないが、少なくとも80年代前半)魁輝-大潮戦で、魁輝が勝ったのだが、勝ち名乗りの際、行司が間違えて「大潮~」と言ってしまい、すぐに気が付いて「魁輝~」と言い直したことがあった。
その時、たまたまNHK相撲中継で向正面解説に座っていた、元・玉乃海の片男波親方(十二代)が「昔、ヒゲの伊之助さんが『鏡里に勝ったる誰々』と言ったことがありました」と発言。
当事者の一方であるはずの片男波が他人事のように話していたのだ。しかも鏡里は負けた方だという(「誰々」と言ったのは、片男波がその力士の名前を思い出せなかったから)。
これまた偶然にも、ちょうど隣にいたのが、初めに紹介した本の著者、北出清五郎氏(当時は向正面に解説者と並んでアナウンサーも座っていた)だったのだが、
北出氏「私は、これは片男波さんの話だと思っていたのですが、吉葉山のようですね。『鏡里に勝ったる吉葉山』と言ったようです」
実は、鏡里-玉乃海戦ではなく、吉葉山-鏡里戦での出来事で、勝ったのは吉葉山だったという。
話がここまでなら「ああ、そうだったのか」で済むのだが・・・・・・、
どうなってるの?
ところが、1992年に刊行された、同じ北出清五郎氏の著書『ものしり雑学大相撲』(三笠書房)では、やはりこの逸話を、鏡里-玉乃海戦の時のこととしている(210ページ)から、またわからなくなる。
もっともこの本は、1983年に出た『北出アナのすもう雑学』(グラフ社)を、三笠書房の文庫に収録するに当たり、加筆・改筆・再編集したものだということなので、原著が書かれたのは、件の片男波親方の証言より前のことで、文庫化の際に修正すべきところを見落としてしまったという可能性もある(この本では、勝ったのが玉乃海の方だとしてあり、北出氏も少し混線しているようだ)。
この話、二十二代・木村庄之助の泉林八氏も述懐しているとのことで、あるいは泉氏の記憶違いが広まったということも・・・?
片男波親方の記憶違いということも考えられるが、だとしたら当事者なのだから、その可能性は低いようにも思う。やはり「鏡里に勝ったる吉葉山」だったのだろうか。
私の記憶違い? うーん、確かに北出さんが吉葉山と鏡里の話だと言ったと記憶しているのだが・・・。
とにかく、伊之助さんが勝ち名乗りを間違えたという事件自体は確かにあったようで、これは、当時の新聞か相撲誌を片っ端から調べれば、何しろ珍しい話だから、どこかに載っているかも知れない。当時の相撲誌を揃えている方で、調べて下さる方がおられないだろうか?