わが「相撲歴」(?)

立川談志が落語のマクラで、

「相撲ってのは国技なんだそうで・・・わたしゃ日本の国技は野球なのかと思っていましたが」

と、相変わらずの皮肉な調子で語っていたことがある。

確かに「ブラジルの国技はサッカー、アメリカの国技はフットボール」というのと同じ意味で「国技」という言葉を使うなら、日本の国技は相撲ではなく野球かも知れない。プロ野球の話題が挨拶代わりになる国である。

第一、競技人口が違う。野球は「見る」だけではなく「する」ものでもある。

何も本格的にアマチュアプレイヤーにならなくても、ちょっとした「遊び」としてする人も多い。

その点、相撲はファンであっても「見る」ものであって「する」人は、そう多くはないのではないだろうか。

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私が、子供の頃からの相撲好きということは、このブログで何度か言ってきた。

もちろん、大相撲をテレビで「見る」ところから始まったのだが、相撲好きが高じてくると、「見る」だけでは物足りなくなって、自分でも取ってみたくなってくる。

そこで、学校の休憩時間には、やたらと「相撲しよう」と言って、友達にケンカならぬ相撲を吹っかけた。

いま思えば友達もよく付き合ってくれて、休み時間や放課後に、すいぶん相撲を取ったものだった。

『世界初の相撲の技術教科書』ベースボール・マガジン社/56ページ/本文とはあまり関係ありませ

当時の私は、身長はクラスで低い方から、3、4番目くらい。そのうえガリガリに痩せていたので、好きだからといっても、そうそうは勝てない。

そこで家に帰ると、大相撲を見たり、相撲の本を読んだりして研究を――別に研究したわけではない。好きだから見たり読んだりしていただけなのだが、だんだん知識が加わってくると、自然、実際に取る相撲にも影響が出てきた。

「外掛け」「出し投げ」等の技の名前を覚えるだけでも違ってくる。

「まわしを取る」(実際に掴むのはズボンのベルト)「かいなを返す」「しぼる」覚えたての用語を試しにやってみる。

「まわしは浅く取れ」「前ミツを取ったら拝む形になれ」「相手が巻き替えにきたら出ろ」「外掛けは差手の側の足を掛けろ」そんな格言を知っているだけで有利になってくる。

そのうちに、自分より体の大きい子も投げ飛ばすことができるようになってきた。

好きな千代の富士と同じ、右四つ、左上手が得意になった。

読売『大相撲』1981年九州場所総決算号表紙写真より

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中学生になり、学校に相撲部でもあれば喜んで入部しただろうが、地方のことでそんなものはない。

そこで入ったのが柔道部。

「柔道も相手を倒せば勝ちになるんだろ。赤い畳の外(場外)に押し出せば勝ちなんだろ」

本気でそう思っていた。

そんな勝手なことを思って始めた柔道だから、いざやってみると「こんなはずじゃない」ということになる。当然、面白いはずがない。

立ち技はまだ相撲の応用も効くが「寝技」は大の苦手。どうして倒れてもまだ試合を続けるんだ。

(立ち技も柔道の基本からは、かなり外れていた)

二年生になった時、柔道部は部員が少なすぎるということで廃部。残念な気持ちはなく、むしろホッとした(そんなことで、よく一年続けたものではある)。

その後も相変わらず休憩時間には相撲を取っていた。

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高校~大学ともなると、あまり「相撲しようぜ」という雰囲気でもなくなってくる。

それでもたまに相撲を取ると、体が細いのに見た目より強いので驚かれることがよくあった。

ただ、私の相撲は、あくまで遊びで取る「草相撲」

本格的に相撲を習う機会はなかった。

『世界初の相撲の技術教科書』ベースボール・マガジン社/50ページ(本文とはあまり関係ありません)

代わりに、というわけではないが、社会人になってから空手や合気道を始めた。

また、中学時代にいやいややっていた柔道も再開したりした(もちろん今度は柔道がどんなものかわかった上で)。

相撲好きが道を踏み外しているという気もしないではないが、今でもたまに「相撲取りたいな」と思うことがある。

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