南海の黒豹――大関若島津

四年前、元・大関若嶋津の二所ノ関親方が事故で重態と聞いて驚いたが、

二所ノ関親方が手術後初取材 後遺症なく元気な姿

無事、回復したとの報にホッとした。この時の写真は、まだ病み上がりのやつれがあるようにも見える。

この人が、一時は横綱を確実視され、千代の富士を凌ぐほどの人気力士だったと言うと、今のファンは意外にも思うかも知れない

しこ名が漫画『キャプテン翼』の登場人物の名前にも使われたことからも人気のほどが伺える。

横綱になるべき男

若島津六夫(歴代大関大全/ベースボール・マガジン社 54ページ写真)

1982年秋、九州、関脇で二場所連続12勝を挙げ、文句なしの大関昇進。

昇進後も、ほぼ安定して二桁の成績を収め、優勝争いにも絡むことが多く、84年には二回の優勝。

相撲誌には「横綱最右翼」「第60代横綱はズバリ若嶋津」などの文字が躍った。

出身が鹿児島県の種子島であることや褐色の肌から「南海の黒豹」との異名を取ったが、これは、かつて大関琴ヶ濱にも付けられた仇名なので、違う名が付いた方が良いと思ったのか、NHKアナが相撲放送で「人呼んで『薩摩の黒豹』」と言ってみたことがあるが、これは全く定着しなかった。

なお、いま「薩摩の黒豹」で検索をかけると、鹿児島産のお菓子が出てくる。

どうしてこれを「黒ひょう」というのかは知らないが・・・。

閑話休題。

今一歩で綱に及ばず 

1984名古屋で全勝優勝、翌秋は綱獲り場所で、終盤まで一敗で進むも、運悪くと言うべきか、この場所は多賀竜、小錦の二人の平幕力士が好調で優勝争いに絡み、番付から言えば本来対戦がなかったであろう、この下位の二人に当てられて敗れ、綱取りは消えた(優勝は多賀竜)。

翌85年春は優勝争いに絡んだものの、それ以後は振るわず、約束されていたはずの60代横綱の座は双羽黒に奪われた。

「相撲っぷりは左四つ、寄りや投げを得意にしたが、刺した左からのワザが中心で、師匠(二子山/初代若乃花)は『投げの打ち合いになると、下手からの投げはどうしてもつぶされる。大成した力士はみんな、上手からの芸の持ち主だろう。若嶋津にも上手からのワザに帰ろと言うんだけど、なかなか直らん」とよくこぼしていた」(歴代大関大全/ベースボール・マガジン社 55ページ)

新山善一氏は、この上手からの芸が身に付かなかったことが千代の富士戦で特に不利に働き、3勝25敗とほとんど歯が立たなかったことが、横綱を逃した一因としている。

歴代大関大全55ページ写真

85年に歌手の高田みづえと結婚。婚約記者会見で「亭主関白になるでしょうか。尻に敷かれるでしょうか?」と、やや冗談めいた質問が飛んだが、「それはやってみなれば・・・」と真面目そのものの表情で答えると、記者達から笑い声が起こった。この頃には、もう全盛を過ぎていた。

現在は、弟子の一山本が入幕し活躍するなど、明るい話題も聞かれる。

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