千代の富士・新横綱場所―僕の天国と地獄

《最高の夏休み》

1981年名古屋、千代の富士は横綱を賭けた場所で優勝。場所後の横綱昇進を確実にした。

小学生だったウルフファンの僕は、優勝の新聞記事を切り抜いて学校に持って行って友達に見せ、自分のことのように自慢した。

その後、テレビでは連日のように千代の富士の話題が取り上げられた。

千秋楽翌日の千代の富士の様子、伝達式、綱打ち、土俵入りの稽古、明治神宮での奉納土俵入り・・・、

奉納土俵入りをする第58代横綱・千代の富士。露払い・富士桜、太刀持ち・朝汐=東京・明治神宮(1981年07月25日) 【時事通信社】

学校はちょうど夏休みに入り、朝、昼のワイドショーから大好きな千代の富士を見ることができた。

さらにNHKでは特別番組も放送された。

その後も、横綱昇進を記念した相撲誌増刊号も発売されたりと、最高の夏休みだった。だが、さすがに8月に入ると、テレビ、新聞とも、相撲の話題は見られなくなってくる。

《夏の空に一片の暗雲》

ある日の新聞を開くと、久しぶりで相撲の記事。夏巡業の話題だったが、それは、千代の富士の足首の捻挫を伝えるものだった。 

二学期が始まり、秋場所直前、二つのスポーツ紙の記事を読んだ。一つは《夢ではない、新横綱V》という見出し。 もう一つは、足の故障を押しての出場を不安視する内容。 

どっちなんだ、というところだが、僕は、「足の怪我は、たぶん大したことない。千代の富士は二連覇できる」と思おうとしていた。

 ――因みにこの場所前には北の湖も足を痛め、また当時、入門以来休場がなく、連続出場記録を持っていた高見山もやはり足の負傷が伝えられ、記録が途切れることが懸念されていた(高見山は二日目から休場。北の湖は15日間務めたものの不振に終わった)。

《現実逃避》

読売『大相撲』1981年九州場所総決算号表紙写真より

秋場所初日、千代の富士は蔵玉錦と対戦。普通ならよほどのミスがない限り問題はない相手だったが、明らかに足をかばう取り口。途中、俵に足がかかる場面もあり、最後は勝ったものの辛勝と言うべき内容。怪我の影響は隠せなかった。 

二日目の相手は隆の里。前場所、優勝した千代の富士に唯一つの黒星をつけた相手だ。

隆の里の上手投げで、痛めている左足から脆くも崩れる千代の富士。取組後、足を引きずって引き上げる姿がテレビに映った。 

それでもなお「一時的に痛かっただけ、明日はまた出場する」そう自分に言い聞かせていた。 

翌日は敬老の日で休みだったので朝から家にいたが、ニュースで「千代の富士が・・・」という字幕を見るや、部屋から出て行った。父が「千代の富士は休・・・」と言いかけると「言うたらいかん!」 「お前、ニュースを見ないようにしたって、事実は変わらんだろう」と、もっとも至極のことを言われた。 

その後、父と出かけた街中のビルの電光掲示板のニュースに「千代の富士」の文字が見えると、また見ないように下を向く。またしても現実から目を背ける息子をたしなめる父。 

本当は、僕ももうわかっている。観念して、再び同じニュースの流れた掲示板を見上げると、「新横綱千代の富士が今日から休場」 いま振り返ると現実を直視できない子どもの自分に、我ながら苛立つような、微笑ましいような・・・。 

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