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三日目、優勝候補筆頭(そんなことを言ったのはお前だけだ)の豊昇龍が連敗という意外な展開(だから意外じゃないって)。
初日の速攻を単純に褒めたが、今日たまたま、こんなブログ記事を見た。
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世代交代の九州場所、しかし 豊昇龍 の相撲はこのままなのかなぁ
豊昇龍には右下手からの攻めが多く、上手からの芸がない、と。
これは場所前に書かれた記事だが、確かに初日の相撲も、右差し、左おっつけで出て、最後は下手投げだった。あれが、左をおっつけながら上手を取るという相撲を取るようだったら注目しても良いということになるのだろうか。自分ながら見方の浅さを反省するのみ。
なお、この方は私同様、二日目の豊昇龍の相撲に物言いがつかなかったことには批判的。
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豊昇龍 は打っちゃってたでしょ、 松鳳山 はさすがでしょ、 阿武咲 は必要でしょ
「『物言いをつけるのがプロフェッショナルだ』と考える審判委員が一人ぐらいいても良いのではないか」には同感。むしろ審判団には「あんまり物言いいつけて面倒かけたら悪い」と、お互いに変な気を遣っているところがあるのではないか、そんな気さえする。
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二日目といえば、照強が石浦を変わった形で吊り出した。
今日は「人の褌で相撲を取」ってばかりのようだが、以前にも紹介した「大達羽左ェ門」さんのツイッター(大達羽左ェ門ツイート)。
いま「吊り出し」で一括されてる決まり手も古典的には「さげ出し」「持ち出し」「吊り出し」と分類され、今回の照強の場合は「さげ出し」に相当するという(もちろん腕力だけではなく、石浦の頭が腹につっかい棒になっているから吊れたのだろうが)。
腹に乗せる吊りの典型は、1981年初場所、北の湖が千代の富士を吊った相撲。これが「持ち出し」か。
「胸に乗せる吊り」というのは1981年春、北の湖が玉ノ富士を吊り出したような相撲だろうか。
以前も主張したように、2001年に決まり手が今の八十二手に増えたのだが、変な決まり手を新造するより、こういう「古典的」技名を復活させて欲しいもの。