▼「栃ノ心のかかとが出た」
今日、九日目の松鳳山-栃ノ心戦で、物言いがついた。
(写真は全てNHKテレビの画面を撮影)
土俵際、物言いのつけようのない決まり方だったように見えたのだが――
その最後の場面ではなく、1分20秒の相撲の間の45秒あたりで、実は一度、栃ノ心のかかとが土俵外に出ていたのだった。
伊勢ケ浜審判長の場内説明「行司軍配は栃ノ心に上がりましたが、栃ノ心の踵が出ており、軍配差し違いで松鳳山の勝ちとします」
これは説明不足だろう。テレビで見ている人はもう一度リプレイで確認できるが、館内の観客は最後の場面だけを考えて「あの状況でかかとが出るかな?」と首を傾げたかもしれない。「相撲の途中で、先に栃ノ心のかかとが出ていたので」とでも言うべきところだった。
▼途中で相撲を止めない理由がある?
それはともかく、栃ノ心の足が出たのは上述の通り相撲の総時間の半分あたりのことだ。なぜその場で止めないのか――と思うところだが、こういう場合、とりあえず最後まで取らせるという取り決めがあるらしい。
これは、2012年九州の日馬富士-豪栄道の一番で、日馬富士の足が「土俵を割った」と判断した審判が、行司に対し合図の挙手をして相撲を終わらせ、軍配を上げさせたが、実は足は出ていなかった。そのため相撲を「取り直し」ならぬ、始めからの「やり直し」にするという失態。そこで上述の「取り決め」をするという運びなったという 。【参照:「日馬の足出た」大誤審で前代未聞のやり直し/日刊スポーツ】→https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1732889.html
つまり「疑わしい」が、確信を持って「勝負あった」と判定できない場合、とにかく最後まで取らせてからじっくり確認することにした、と。
▼貴景勝-逸ノ城戦の場合
八日目の、貴景勝-逸ノ城戦も似たようなケース。
逸ノ城が貴景勝を正面土俵に寄り倒したと見えたところで物言い。
確かに土俵際、貴景勝が回り込んで残そうとすると、勢いのついていた逸ノ城も土俵を飛び出している。
当然、貴景勝の、いわゆる「体が飛ぶ」のと、逸ノ城の足が出るのとどちらが早かったか、という協議だと思われた。
ところが伊勢ケ浜審判長(奇しくも今日と同じ)の場内説明は「逸ノ城が貴景勝の髷(まげ)を掴む反則があったので、貴景勝の勝ち」というもの。
ラジオ実況アナ(誰だったかは忘れてしまった)が思わず「そこですか!」
この相撲の場合は、2分47秒という長い相撲の、約30秒時点の出来事である。ラジオ解説の北の富士氏も「なんで途中で止めないんだ?」「俺の勉強不足といえば、それまでなんだろうけど・・・」と、何とも納得がいかないという様子だった。
確かに「取り決め」通りに行ったということで、今回は一応「適切な対応だった」と言う人も少なくない。だが、今後に新たな課題を残したとも言えないだろうか。
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▼「水入り」「まわし待った」と同じ対応を
両力士の動きが止まらず、従って相撲を止めるチャンスもないという状況ならともかく、今場所のケースは、二番とも問題の瞬間の後、両者の動きが止まる場面があったわけだ。
その機に審判が一旦手を挙げて相撲を止めさせ、協議をして、もし土俵を割っていなかった、あるいは反則はなかった、という結論になったら、止めた時の体勢に組ませて再開する(「水入り」や「廻し待った」と同じ対応)ということも検討されていいと思う。
そうでなければ、途中で「勝負がついていた」にもかかわらず、そうとも知らず長い相撲を取った力士たちは、何のために力を尽くしたのかということになる。
先に「『新たな』課題を残した」と言ったが、件の取り決めの際、こういうことが起こりうることも想定していなければならなかったと思う。
今日、逸ノ城は敗れたが、昨日の判定の影響があったと考えるのは僻目だろうか。
▼行司に反則の判定権限を
「反則」が問題になる相撲の場合には、行司に反則の判定権を持たせるべきだと思う(実は現行の制度では行司にその権限はない)。髷を掴んだのを行司が見たら相撲を止め、掴まれた方の力士に軍配を上げる、というわけだ(もちろん、それに対しての「物言い」は有り得る)。
これは行司の立場が低すぎることの問題でもある。