テレビ、ネット動画等で、しばしば70年代頃の相撲の映像が流れると、
「昔の相撲って、全然手をついてなんじゃない?」
という声が聞かれる。
昔といっても、いつの昔かが問題になる。
◎きっちり手をついていた時代
双葉山時代の1943年夏場所千秋楽、双葉山-照国(DVD「映像で見る国技大相撲」ベースボール・マガジン社/18巻より画面を撮影)
相手の動きを見ながら片方づつ手を下ろし
両手を着き
立ち上がる
この1942年春・千秋楽の安芸ノ海(右)のように、片手だけをつく立ち合いもないではなかったが、この頃はとにかくも手をついていた。相手は照国。
◎「立ち合いを乱した元凶」栃錦
手をつかない立ち合いの「創始者」は横綱栃錦(右)だと言われる。1955年春。相手は初代若乃花(「映像で見る国技大相撲」19巻)。
栃錦の立ち合いはまだ低かったが、栃錦に好意的だった評論家・彦山光三氏も「立ち合いを乱した元凶」と厳しい評を下しているという。
◎中腰立ちの時代
柏鵬時代あたりになると「中腰立ち」が当たり前になる。大鵬(左)-佐田の山。1962年秋優勝決定戦(「大相撲名力士風雲録・大鵬」ベースボール・マガジン社)
1979年初十四日目、二代若乃花(左)-北の湖。
千代の富士(右)は手をつかない場合でも低く当たっていた(概ね一瞬でもついていたと思う)1981年春。相手は北の湖(「大相撲名力士風雲録・北の湖」)。
◎《立ち合い講習会》以後
手をつかない立ち合い、中腰立ちが批判、問題視されるようになり、1984年に協会は立ち合い講習会を開き、以後、中腰はもちろん、手をつかない立ち合い、土俵を一瞬叩くだけの立ち合いは認められないこととなった。いわゆる「手つき不十分」の立ち合いに「行司待った」がかかり、やり直しを命じられるようになったのは、それから。
1988年九州、千代の富士-陣岳。講習会以後は誰もが手をつくようになった(横綱千代の富士 前人未到一〇四五勝の記録」NHKエンタープライズ)。
陸上のスタートダッシュと同じで、手をついて低く構えたほうが、スピードと威力は増すという。
なお、前に紹介した明治期の相撲映像だが、このように指をつくこともあったようだ(コメント欄で御指摘いただいて気が付いた)本当に陸上のスタートのようだ。利根川(左)-野州山(「映像で見る国技大相撲」)19巻)。
弊害も指摘されるようにはなっている。
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大相撲で続出する立ち合い不成立 力士 行司 審判部の共通認識が必要に
私は、手はつくべきだと思っているが、「今のはなぜ止めた?」と思うケースが散見されるのも事実。